堺原爆被害者の会
堺原爆被害者の会
会長:中谷好文
昭和20年(1945年)8月6日、核兵器として世界初の原子爆弾が広島に投下され、その3日後の8月9日に2発目の原子爆弾が長崎に投下されました。
原子爆弾はそれまで使用されていた火薬だけの爆弾とは比較にならない強力な破壊力で、一発の原子爆弾で広島市も長崎市も一瞬にして壊滅的な焦土と化し、広島市で14万人、長崎市では7万人が死亡し負傷者数は確認しきれないほど多数出るなど甚大で悲惨な被害を受けました。
そして、被爆しながらも生き延びることができ、元気に生活していた人が数年後に白血病や癌を発病したり、いろいろな疾病を患う人が多数出るなど、原子爆弾による放射線の影響は被爆後80年を経過した現在でも続いています。
被爆者そして被爆二世は健康不安を死ぬまで持ち続けなければならないなど核兵器は非人道的な兵器なのです。
核兵器は全世界に12,000発あると伝えられており、その中には原爆の数百倍の破壊力を持つ水素爆弾も配備されています。
私たちは家族を失い、自らも負傷するなど悲惨な被害を受けましたが、その数百倍の被害が及ぶ状態になっているのが現実です。
「核によって被害を受け、悲惨な思いをしたことを再び繰り返してほしくない、だから核のない平和な世の中をつくりたい」と願うのは被爆者共通のものであると私は信じています。
しかし、今後は戦争を知る世代が減少し、戦争や原子爆弾が広島・長崎に投下されたことを知らない世代が増加して、風化が進むと考えられます。
そのためにも、私たちの子供である被爆二世の方々に助けていただきながら、しっかり活動しなければならないと思っております。
私たちの活動に、よりたくさんの方々のご理解とご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
二世部会代表
積山洋:(日本被団協二世委員会委員)
2024年12月、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことは世界的なニュースとなりました。「ヒバクシャ」が世界共通語になるまでの長年の核兵器廃絶運動、語り部の証言活動が高く評価さたのでした。
2017年、画期的な核兵器禁止条約が国連総会で決議され、条約の成立に多大な貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)も平和賞を受賞しました。核禁条約は、批准国が50に達し、2021年に発効、今では批准国・地域は73にまで増え、大きな国際的潮流となりました。
しかし、核保有9ヵ国や日本政府はこのような国際世論に背を向けています。アメリカとロシアは1987年以来の中・短距離ミサイル廃棄条約を放棄し、ロシアはウクライナで、核兵器の威嚇を続け、北朝鮮やイランも核開発を加速しています。
核兵器の悲惨な被害をあらためて見つめなおし、その真相を世界に伝え、核兵器廃絶を目指すことは、被爆者を親に持つ私たちならではのミッション(使命)です。
私たちのもうひとつのミッションは、二世に対する公的な支援の実現です。2018年8月放送のNHKスペシャル「広島 残された問い~被爆二世たちの戦後~」のように、原爆の後遺症がわが身にも及ぶかもしれないとの恐怖に苦しむ二世は少なくないからです。
公的支援は本来、国が為すべき政策です。私たちは毎年、二世への被爆者健康手帳の発行と医療費助成の要望書を厚生労働省・大阪府・堺市あてに提出してきました。堺では市会議員さんたちの応援のもと、市側と交渉し、2014年に「被爆者二世健康管理表」が発行されました。二世の皆さま、ぜひ区役所に問合せて受け取り、毎年の「被爆者二世健康診断」(無料)を受診してください。
一方で、医療費助成など当初の目的はまだ実現できていません。引き続き、取り組んでいく所存です。。
広長会について
堺原爆被害者の会は別名「広長会」(こうちょうかい)と言います。
なぜ広長会という名がついたのという理由をご説明します。
被爆後、年数を重ねる中で、それまで元気だった人が白血病になって死亡したり、被爆時の放射線による内臓損傷などによって癌になる人が数多くいました。
また、疲れやすい体質になって仕事を続ける事が出来ず休むことが多くなったり、仕事する意欲も湧かず家でブラブラすることから「ぶらぶら病」と怠け者の代名詞として言われるなど就職や結婚などで差別を受けました。
又、福島原発事故時、福島から他府県に避難した人達に「うつる(感染する)」などの誤った偏見がニュースになっていましたが、私達被爆者にも同様のことがありました。
そのため被爆者であることがわかりにくくするため広島・長崎の一文字を使った「堺広長会」という通称名を使って郵便物を出すなど、当時は被爆者であることを隠したいという人が多かったために使った名称です。
堺原爆被害者の会連絡先
メール:info@sakai-genbaku.org
堺原爆被害者の会二世部会代表
積山 洋